日曜日から昨日、火曜日にかけて15人の新聞記者がテヘランで逮捕された。(上のは最初に逮捕された13名のもの)
それも仕事場に押し入れられ、逮捕状もなければ逮捕する機関も名のっていなければ、「犯罪名」も言い渡されていない。エビン刑務所につれられたとしか情報がない。
ここに幾度もテヘラン市北部にある悪名高いエビン刑務所のことを書いたが、最後のは
イラン人口は世界の0.5%なのに逮捕されている人口は世界の2%
しかし、イラン体制(政府だけではない。レジームの訳に体制を使っている。ハメネイ最高指導者をトップとしたイスラム共和国体制)がなにを恐れているのか?逮捕された新聞記者らは「文化部」であったり、「事件などを担当する社会部」の記者だったり、「経済部」の記者だったりしていた。体制が一番恐れている「政治」を追っている記者ではなかった。
彼(女)らを外国にいる「反体制」組織らに関わっていたとしているが、平均年齢は25歳の記者らはいったい、どうして外国の反体制らにつながっていられたのだろうか。それも、全員が、1979年のイスラム革命後に生まれ、革命体制下で育ったはずなのに、なぜ「反体制」になれるのか?そういうのならば、育て方が問題だったのではないのか?
認可制で発行される新聞なのにその記者を逮捕する。逆順に考えれば、認めたはずの体制が新聞を恐れているという結論にしかならない。もっと言えば、一般国民が知ることを恐れている。文化面しか読まない人でも、なにかを知ることを恐れているのだ。
だから、市民ジャーナリストらを数千人が逮捕されたりする。また数ヶ月前に
ブログで意見を書いた罪で殺された青年!
のように殺された人も多い。
イランは北朝鮮とほぼ同じくらいメディアに対する弾圧は激しい。「国境なき記者団」の1月30日の発表によれば、世界179カ国中、イランは174位だ。イランの数少ない同盟国、シリアは176位。(日本人ジャーナリストが殺されたのも皆さんが忘れていないだろう。)
イランで大統領選らしいものを6月に実施しようとしているけど、それより前に恐怖を国民に印象させようとしている。体制の本音は「国民」=「敵」であって、一番恐れでているのだろう。