素敵な読者の皆さん

2013年1月31日木曜日

新聞はイスラム体制を脅かす危険なものか?!


日曜日から昨日、火曜日にかけて15人の新聞記者がテヘランで逮捕された。(上のは最初に逮捕された13名のもの)
それも仕事場に押し入れられ、逮捕状もなければ逮捕する機関も名のっていなければ、「犯罪名」も言い渡されていない。エビン刑務所につれられたとしか情報がない。
ここに幾度もテヘラン市北部にある悪名高いエビン刑務所のことを書いたが、最後のは

イラン人口は世界の0.5%なのに逮捕されている人口は世界の2%


しかし、イラン体制(政府だけではない。レジームの訳に体制を使っている。ハメネイ最高指導者をトップとしたイスラム共和国体制)がなにを恐れているのか?逮捕された新聞記者らは「文化部」であったり、「事件などを担当する社会部」の記者だったり、「経済部」の記者だったりしていた。体制が一番恐れている「政治」を追っている記者ではなかった。
彼(女)らを外国にいる「反体制」組織らに関わっていたとしているが、平均年齢は25歳の記者らはいったい、どうして外国の反体制らにつながっていられたのだろうか。それも、全員が、1979年のイスラム革命後に生まれ、革命体制下で育ったはずなのに、なぜ「反体制」になれるのか?そういうのならば、育て方が問題だったのではないのか?

認可制で発行される新聞なのにその記者を逮捕する。逆順に考えれば、認めたはずの体制が新聞を恐れているという結論にしかならない。もっと言えば、一般国民が知ることを恐れている。文化面しか読まない人でも、なにかを知ることを恐れているのだ。
だから、市民ジャーナリストらを数千人が逮捕されたりする。また数ヶ月前に

ブログで意見を書いた罪で殺された青年!


のように殺された人も多い。

イランは北朝鮮とほぼ同じくらいメディアに対する弾圧は激しい。「国境なき記者団」の1月30日の発表によれば、世界179カ国中、イランは174位だ。イランの数少ない同盟国、シリアは176位。(日本人ジャーナリストが殺されたのも皆さんが忘れていないだろう。)
イランで大統領選らしいものを6月に実施しようとしているけど、それより前に恐怖を国民に印象させようとしている。体制の本音は「国民」=「敵」であって、一番恐れでているのだろう。

2013年1月24日木曜日

イラン人口は世界の0.5%なのに逮捕されている人口は世界の2%

イランの国民議会(??はああ??)の一部は悪名高いエビン刑務所を訪問したそうだ。
「ホテル並みのところだった!」と発言した議員もいれば、「我が家より、美味しいご飯が食べられていた!!」ととにかくイランは素晴らしい国家であること言うために、でたらめを並べていた。
政治犯の家族らで「ホテルのようなら、皆さんもエビン刑務所へお泊りに行けばいかが?!」と言った。そのとおりだ。
以前このブログにも紹介した
日本にも来てくださった社会学者のサイード・マダニ先生が逮捕された
マダニ先生もエビン刑務所で議員らに会ったそうだ。
脱帽するのはマダニ先生が苦しい状況におられるのに、社会学者として彼らに、分析を説明をされたところだ。
マダニ先生は「イラン総人口は世界人口の0.5%なのに、刑務所に入れられている人口は世界の2%だ」とおっしゃられた。「それが、ただでさえ恵まれていない刑務所の状況を更に悪化させている」と。
戦前の日本なら、政治犯がいたから、イランは70年以上も前の状況のままだ。「民主主義」を求めるのはイランで政治的な犯罪になる。
全文はペルシア語でhttp://www.kaleme.com/1391/11/04/klm-130554/にある。

マダニ先生の即時解放を求める文面は

ご署名をお願いいたします。イラン研究者4人よりのお願い。日本にも学術交流で来られたマダニ博士の一早い釈放を求める

2013年1月19日土曜日

犯行声明から見るアルジェリアでの武器の提供側

アルジェリアでの人質事件でのことはまだ完全に解明されていない。しかし、もし私は捜査官警察官としてこの事件を担当していたら、なにを調べて今の時点でなにを明らかにできたのかを書く。(無所属で、ただの研究者であって、いずれの官でもないけどさ?!)

●犯人はなにを、そしてなぜそれを要求しているのか。
●犯行武器をどこから手にしたのか。

この二つの質問に答えるのに、ビデオにでている犯行声明で「イスラームの土地から出て行け」というを手がかりにする。
まず犯行声明に突っ込みを言わせていただこう。そもそも「イスラムの土地」だなんて、どこのことを指すのかよ?イスラム教徒が住む土地?その土地に他宗教は住んでいないのか?住んではいけないのか?モザイックのような中東での宗教の信者らは、アルジェリアだって、同じように住んでいるんだぞ。あなたの聖典、コーランにも認められた「神が導いた、神のほかの宗教、キリスト教やユダヤ教」の信者らの存在をどうするのかよ?(仏教のことは書かれていないので、ご注意??!!1400年前、仏教はコーランが書かれた、メッカとメディナがあるサウジアラビアや他の中東になかったので、許してやってくださいませ?!)

漫才師を辞めて、捜査官に戻ろう。
まずアルジェリアの隣国からだ。アルジェリアのすぐ東にあるのはリビア。砂漠で国境線はあるのかないのか分からないもので、その国境は砂漠地帯だ。
犯行声明にはおそらく「武器を提供した人」か「武器を渡してくれた人」へのメッセージがあるはず。
武器と言えば、この英語のニュース
http://www.rohama.org/en/news/6678/le-monde-france-sold-gaddafi-90-million-euros-in-arms
と日本語では
http://article.wn.com/view/WNAT92d0483a147a307f84d066c3f0ed43bb/
英語のを簡単に訳せば、フランスの有名紙ルモンドが報じたところによれば、フランス政府がリビアのカダフィに90,000,000 Euro(1ユーロ120円と計算すれば、108億円)の武器を売ったとのことだ。つまり、あの悪名高いカダフィは原油を売って、そのお金で武器を買ったとのこと。もちろん、これはほんのわずかで、氷山の一角だ。リビアが買えた武器は数百倍とも、数千倍ともなっていたはず。ルモンド紙がその一部を明らかにしたのが、フランス政府は反カダフィ派のグループらに武器を贈答した時だった。
日本語で読める2011年7月のニュースは
http://rockway.blog.shinobi.jp/Entry/585/

結局北アフリカで現在の多くの国の旧宗主国だったフランスは、武器を売ったり、提供した武器は北アフリカにたくさんあるとのことだ。(宗主国はややこしいから、あの地域いったいを植民地にしていたおフランス!)
その武器をアルジェリアの犯行グループに渡したり、売ったりした人はイスラム教徒だったから、犯行声明にイスラムの土地というありもしない言葉を使ってしまった。

他にも武器を提供したところがあるはずだ。それもなんと、ペルシア湾の大金持ちの国らだ。イスラム教の国家だからこそ、イスラムの土地と犯行声明で言ったはず。
続きはまた今度。
社会貢献で無償で書くことも大事だけど、前回の投稿で
宗主国の責任は?「アルジェの戦い」映画から
を書いたものは、なまぬるいものだったから、書き直すつもりで書いている。

メディアさん、どこかの現代イスラム、ナンチャラ、カンチャラの一人事務所の理事長はなにか新しいことを言っているのかよ??

2013年1月18日金曜日

宗主国の責任は?「アルジェの戦い」映画から

صورة معبرة عن الموضوع معركة الجزائر (فيلم)
アルジェリアでの出来事でニュースを解説するとき、フランスはアルジェリアの宗主国だった、という簡単な解説がつく。しかーーーし、宗主国の意味はなにか?誰が、どこをどのように支配していたのか?その土地に住んでいた人々はなにを考え、生きたのか、その子孫は今もそこに住んでいるのか??両親や祖父母らから聞いた話はどうなるのか?今の世代に憎しみはないのか??専門家らの浅知識と理解に、怒りしかない。
解説(?)をする専門家らは、「イスラム原理主義の武装勢力」という。一般の日本人でもある程度知識のある中国のチベットについてもそのような簡単な解説でいけますか??歴史、それもわずか50年も前の歴史だ。アフリカの地図を見れば分かるように、まっすぐな国境線がほとんどだ。アルジェリアは130年以上もフランスの支配下にあった。人々の住むところは決まっていて、人種で街の西と東に住み分けられていて、道路を歩こうとしても身分証明書を持ち歩かないといけなかった。
その街に住んでいた人たちの子供は今、アルジェリアやマリに生きている。侮辱されていた記憶は憎しみの記憶として残っている。

彼らは反抗声明で「旧宗主国」がこの土地を今も空爆しているから「フランスは憎い」といえば世界の他の人たちに通じるのに「イスラムの国に足を入れた」と言ってしまう。本人らもそこまで教養はないはずだし、これまで会ったことのある人たちも皆、イスラム教徒だっただろうから「よそもの=イスラム教でない人」となってしまう。悲しいことを「宗教の名」で続けてしまう。

青森の図書館でさえもあった「アルジェの戦いの映画(1966年伊作)をぜひすすめたい。
日本でフランスにあこがれる人が少なくないかもしれない。「おフランス」と言ったり、思想や自由、芸術の国と思ったりする人も多いだろう。この映画を見たらまったく印象が違ってくる。
イラン人の私もアフリカの苦しみをこの映画で理解した。
イランで「ありがとう」を言うときに「メルシー」というフランス語を使ったりするし、フランスの印象はいい。19世紀以降の歴史でフランスはイランに悪影響を与えていなかったためだ。イランはすぐ北のロシアに土地を取られたり、イギリスに原油の支配権を取られたりしていたのに、フランスは王らの遊び土地だったり、地詩人らが考えるためにエッフェル塔を眺めたりしていた。だから、普通に「メルシー」と使ってしまう。アルジェリアの状況を理解しようと思えば、「アルジェの戦いをぜひみてください。

2013年1月16日水曜日

イラン革命記念日にあわせてイラン国内で取材材料

イラン国内にいるメディア関係者も含め、もしイラン国内で取材を考えるのならば、路上で取材できないはず。できても、誰もまともに記者に、そして、カメラの前で答えるはずがない。命のきけんを考えながらインタビューにまともに答えないはず。
もし、1979年の2月11日イスラム革命にあわせた取材をイラン国内で考えるのならいくつか提案できる。
主にしてみたら面白いのは「革命から33年の矛盾に、大物家族らがどのように苦しんでいるのか」

その一つは、まさしく革命の精神リーダーだった、ホメイニの孫らへの取材だ。
例えば、娘孫はスカーフを問題に感じて、その強制に反対しているNaimehさんだ。その一記事がここに
http://www.irandailybrief.com/2012/07/26/no-to-mandatory-hijab-campaign-growing-khomeinis-granddaughter-vs-hijab/

経済制裁の影響を考えたいのならば、ラフサンジャニの娘への取材をお勧めする。全国の特殊病治療法人の理事長だが、「経済制裁で薬はイランへ入らない。病人らが苦しんでいる」と発言している。日本語のウィキペディアにもあるほどのラフサンジャニの別の娘Faezehは今、エビン刑務所に入れられているし、息子が父親が大金を積んで釈放されたものだ。裁判(??という嘘の演技)はこれからとのこと。

とにかく路上での取材を諦めたら、いくらでも考えられる材料がある。

2月は東京にいる予定なので、なにかあれば、直接もお目にかかって説明できます。 

2013年1月11日金曜日

地吹雪ツアの発想で、青森も島根も、鹿児島も山口も

青森にきてから2度目の冬になる。12月からいつも外は雪と思っておかしくないほどの気候だ。最高気温は氷点下になることも多い。県庁の所在一で日本一ではなく、世界一とも言われる積雪量は2013年1月10日に1メートルぎりぎりとなった。1月ともなれば、窓からいつでも、地吹雪が覗ける。簡単に言えば、雪はさらさらしているから、風で空を舞う。雪が空から降るのではなく、地面から巻き上げるので、傘がほとんど意味を持たない。

雪にうんざりするのは私だけではない。青森出身であって、この街に住むほとんどの知人が口を揃えて「雪のないところに住みたい」というもの。「早く春の山菜取りに行きたい」という八百屋さんもいれば、「どんなに猛暑でもいいから夏になってほしい」という学生もいる。
しかし、雪下ろしで死者がでるほどのこの「厄介な雪」を「宝の雪」に変えた人もいる。
「地吹雪ツアー」を企画して実施している人だ
会ったことがないけれども、東京で旅行代理店に勤めていたがユーターンした男が発案してらしい。(名前を幾度も聞いたけど、忘れた。知っている人がいれば、コメントかメールでお願いします。)
追伸:ツイッターで教えていただきました。
企画者は角田周さんです。官公庁にもご紹介されていてhttp://www.mlit.go.jp/kankocho/shisaku/jinzai/charisma/mr_kakuta.html
すごい面白くて、多彩な話題がでている会社のホームページは
http://www.aptinet.jp/index.html 青森県観光情報アプティネットaptinetです。動画あり、写真あり、企画あり。素晴らしい。ぜひ訪ねてみてください。地元を愛する企画を更に理解できます。
どこが故郷であっても、どこに住んでいても、結局は、発想を変えれば素晴らしいものを提案できる。以前ご一緒させていただいた旅行で板垣雄三先生がおっしゃられた言葉のとおり頭を使え!頭を!」

この頭を使い、他の人々に伝えるために、大きな役割を果たせる手段か、ツールはインターネットだろう。非常に残念だが、青森ではインターネットの利用率が非常に低い。日本の地方であれば、どこもそうかもしれないけれども、せいぜいツイッターか、よくてフェイスブックが利用されている。もっと公開にした方法でアイディアを発信してはどうでしょうか。このブログで書いているイランをはじめ、中東の話題以上に読まれるものだ。

ここで提案するのは酢違いだろうけれども、青森を訪ねたらもっと楽しくすごす方法を提案したい。
最初に「ねぶた」にあわせようかな。
日本全国から大勢が集まる夏祭りのねぶたなのに情報発信はほとんど印刷されたもの。毎年来ている人たちが夕方に始まるねぶたまでの間、なにをどうしたらいいのかまったく分からないでいる。本州最北端の青森に来る前に、すごし方を知りたいのに、「青森駅にチラシを置いてある」よと自慢げに話しても意味がない。旅の前に調べるから、インターネットに情報を載せてよ。青森県も市の役所のどこも、発想がない。「駅においてあるよ」の一点張り!!

乗り捨てできるレンタカーをして途中温泉に入りながらなら、大間へ行って、大間のまぐろを食べてください。一人2000円位で大間で大間のまぐろが食べられる。家族4人で行けば、青森市でレンタカーして、新幹線が止まる七戸で車を返せれば、銀座で食べるより安くて、新鮮なものが食べられるし、安いし。観光もできるし。

島根でも、山口でも、鹿児島でも、どこでも、面白く訪問できるツアーが組めるはず。ぜひ日本各地を訪ねよう。故郷か、住んでいるところを楽しく過ごす方法をよかったら、こちらにも書いてください。
一度きりの人生を楽しく過ごそう!
また、他の青森ツアーを提案するかもしれない?!