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自己紹介

女のヴェールに踊る男たち

アレズ・ファクレジャハニ
テヘラン出身。91年来日。東京工業大学博士過程修了。

地球人。たまたまイラン人である。偶然に生まれながらペルシア語、アゼリ語が話せて、英語、アラビア語やトルコ語、中国の)ウイグル語を習ったり、しっかり耳をすまして似た単語からわかるようになった。

専門はイランを中心にした中東の政治社会。

職歴:2006年から11年までは東京外国語大学で研究員。
2014年4月-2017年3月は東京外国語大学、アジア・アフリカ研究所のジュニアフェロー。
メールはarezjaponi アット @の後はgmail.com
必要なら、ご連絡ください
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最近の主な活動:

いつか出版したい女のヴェール(ベール)に踊る男たちというタイトルで本を出版するために、多方面で、数多くの本を読んでいる。さあ、いつに納得できるように読み終えて、書きあげられるのかな???

どの図書館にも入っていて、知識人の雑誌と呼ばれる岩波書店の月刊誌『世界』に書かせていただいた。政治、宗教、社会、民間伝承、歴史からなぞを解いている。
2013年11月8日発行の岩波の世界誌12月号で「一家族3世代の女性から見えるイラン・イスラム共和国 革命期の混乱から新大統領誕生の誕生まで」(上)
2014年1月8日に「一家族3世代の女性から見えるイラン・イスラム共和国 同盟国シリアの関係」(中)
そして、20??年⁇月8日に「一家族3世代の女性から見えるイラン・イスラム共和国 ヴェールに踊る男たち」の予定。(下)
いつかだろうか。それは本になるときだろうね。

2014年2月13日発行 現代思想 2014年3月増刊号 ネルソン・マンデラ特集号
2014年7月号 現代思想誌 青土社 ロシア特集号 に「北の熊との難しい付き合いのイラン」


このブログを始めた2009年末ころのイランは、大統領選挙結果は不正であるとして、抗議で多くの人が街頭に出続けていた。首都のテヘランでは4人にで1人がし街頭にでる日もあったほどだった。日本でイランや中東の政治界なを専門にする人たちがその根本をきちんと見ていなかったため動にも我慢ならなかった。そこで、個人的であるはずのブログで多くのイランや中東の情報を載せてきた。そのため、このブログを参考にしてきた大学教授や、研究所などの人たちが大勢いた。2015年以降、ほどんど書いていないのに、ブログがのぞかれている。
さらに他の一般人にもわかるように、面白、おかしく書いていた。その一部として、自己紹介もある。一般の方にも興味を持ってもらうように、書いているブログの自己紹介はこちら。2015年では、4000年の歴史スパンで、女性を中心にした本が書けるように調べ物したり、本を読んだりしている。
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世界一優秀だったから、日本へ来られたイラン人???!!信じる?????

イランのテヘラン出身。日本をはじめ世界でオイル・ショック騒ぎだった、1973年に生まれた。七夕さんだ!(さんはよけいだって!ハイ、ハイ!)

1991年に「世界一優秀」だったから、イラン初の文部省奨学生として日本へ来た。イラン初と言っても、イスラム共和国になってからのこと。
この「世界一の優秀さ」を2003年まで信じていた!しか〰し、それは真っ赤な嘘だった。私はイラクのフセインのおかげで日本へ来られた。(呼び捨てにするな!フセイン殿だろう!ハイ、失礼いたしました!)
というのも、 フセインはクウェートを侵略した1990年の2年前まで、イランと戦っていた。イラン・イラク戦争は8年も続いていた。(ちなみに、なんでイラク・イラン戦争と言わないのか、未だにわからない。わかる人、教えてーー)
まあ、余談はさておき、イスラム教徒が住んでいた二国間は8年も戦争していた。その間、西洋世界はフセインを支援していた。イスラム革命を起こし、米国大使館を占拠し、444日間にも及ぶ大使館員らを解放しなかった、イランはすかれるわけがなかった。イランは米国を大悪魔と呼んでた。
そのイスラム共和国のイランは、大悪魔と小悪魔(フセイン)が戦っていうことを「知るものか!」とした。だから、湾岸戦争において、イランは米軍もイラク軍も支援しなかった。
これをもって「イランは人の話がわかる国じゃないか」と理解されるようになって、日本をはじめ各国からイランとの関係が深まるようになって、奨学金のような支援をだして、後にいい汁を吸おうと思ったのだろう?!失礼だね!政治と経済の取引だよ!ハーーイ!

人生の半分を日本に住んでいるのに、もうカタカナはないと4年近く思っていましたが、2013年6月1日からカタカナへ戻し、あれず・ふぁくれじゃはにではなく、アレズ・ファクレジャハニです。戻した理由は:
東京工業大学の恩師、橋爪大三郎先生の言葉を思い出したからです。橋爪先生に言われたことのある「本当の戦いが新宿であるというのに、大岡駅(東工大のある駅)のところで肩があたったから喧嘩しちゃう?チンピラでは戦えない」というお言葉でした、今後はカタカナを卒業した外国人ではなく、「チンピラを卒業した人」として戦う!(もちろん思想の戦いですよ)。今の戦いはイランを含めた中東の現状を伝えることだ。後の戦いが日本での外国人差別になったら、またひらがなに戻るかも。これもまた卒業してカタカナのアレズにします。
まあ、頭の隅にでも考えてください。外国のものにカタカナをつけるのは、差別なのでは?見るからにすぐに外国出身のものとわかる。
今はここまでーーー。続きはまたいつか!

パスポート上でイスラム教徒であり、小さい時からイランに住んでいたがために、嫌をなく、イスラム教に詳しい。9歳からはスカーフを被らないと学校へ行けなかった。今も、もし在京のイラン大使館へ行くとなれば、好んでなくても、入り口でかぶる。
イスラム教徒であるというか、イスラム教徒にされたのはまず、イランをでるときに必要だったパスポートに宗教欄があって「イスラム教・シーア派」と書かされたときだった。そして、2回目は9.11の後に、それまで日本でどこにでもある日本家庭に下宿していたから、その家族と飲食を楽しんでいたが、突然テレビ局からの「イスラム教徒の生活とは?」の取材で、イスラム教徒とされた。まあ、そんなもんかな?

このブログで書いている自己紹介に近いもののいくつかも添付します。よかったらクリックして読んでみてください。





「土偶」の画像検索結果
2006年から2011年3月まで東京外国語大学で研究員として雇われていた。雇われる道をつくってくださった酒井啓子教授、ありがとうございます。
日本へ着てからの学歴を型どおり書くと:
平成 73
松江工業高等専門学校電子制御科卒業
平成 93
豊橋技術科学大学情報工学課程卒業
平成 133
東京工業大学・大学院・修士課程・社会理工学研究科・価値システム専攻修了
平成 189
東京工業大学・大学院・博士課程・社会理工学研究科・価値システム専攻修了










人生の半分以上を日本の島根、愛知、青森、東京に住んだがテヘラン出身。2011年3月末まで東京外国語大学研究員。言語力を順に書けば日本語への同時通訳のペルシア語~ダリー語(アフガニスタン)、英語、アゼリ語(アゼルバイジャン)、トルコ語、アラビア語、ウイグル語(中国ウイグル)。テレビ局やJICA等で通訳。朝まで生テレビ(4回)、TBSとフジテレビ報道や情報番組、文化放送やラジオ日経(数十回チャンネル・アジア)出演。
今まで行った大まかな社会活動での業績は:
2000112日の東京工業大学のハタミ大統領来校記念講演を企画提案、運営アドバイザー。東工大はハタミ大統領に名誉博士を。
●20031226日から2004112日までにイラン・南東部バム地震での医薬品、医療品を現地へ発送。(2000万円に相当する医薬品医療品が送られた)。インターネット上での呼びかけの企画提案も含め、連絡網での実施
●2006年10月以降2011年3月まで東京外国語大学受託の文科省プロジェクトで中東カフェ(1回~32)企画、運営全般。

書いた論文は最近を順に:
★2014年1月8日発行予定の岩波の世界誌2014年2月号に
一家族3世代の女性から見えるイラン・イスラム共和国 イランとシリアの関係
★2013年11月8日発行の岩波の世界誌12月号に
一家族3世代の女性から見えるイラン・イスラム共和国 革命期の混乱から新大統領誕生の誕生まで」
★2014年はじめに、中東調査会発行の中東研究に書いた「驚きのイラン大統領選挙」(仮)が発行予定

日本ではじめてとなる中東社会におけるネットの役割を2009年12月号の現代思想誌に書かせていただいた。
それらも含め以下に添付。
論   文   名
発表年月日
発表雑誌名
備    考
1.シェヘラザード」 都市物語が生んだ革命―イランの場合で見る




2.「『われわれは無限大だ』世界でも稀なイランの抗議運動にみる新たな市民のネットワークと社会編成の力」、
3.「大統領選挙期間中の期待と結果のギャップ -人々の抗議の背景にあるものは」

4.「布のスカーフが盾に 革命と戦争により、家の中から社会に出ることを獲得した女性たち」



5.انتخاب مرزها و مرزهای انتخابات در جمهوری اسلامی ایران، از تربت جام در خراسان رضوی تا اهر در آذربایجان شرقی، فریبا عادل خواه، آرزو فخرجهانی
(イラン・イスラム共和国における、国境の選択と選挙の境-ホラサン・ラザウィ州のトルバテジャームから、東アゼルバイジャン州のアハル市まで)

6.「『明日』はどんな日になるのだろう・占領下のイラク人の心をイランの占領体験から読む」、
7. サダコに送りたい千羽鶴・原爆とイランの核開発疑惑」、

8.「切っても切れない縁・イラク攻撃を受けてイランからの視点」


9'.上の原稿は韓国の「当代批評」20036号に翻訳された。
2011年4月臨時増刷号






200912月、第3715



2009/10Vol.



200653406







2005617








20039月、3111



20038月、3110


20034月臨時増刊、
315


20036

現代思想、青土出社



現代思想、青土出社



中東研究、
中東調査会


現代思想、青土出社(この論文は朝日新聞において5月のベスト論文として紹介された。)

ペルシャ語gooya誌。インターネット雑





現代思想,
青土出社


現代思想、
青土社

現代思想、青土社


当代批評
pp212-215




pp220228


505



pp114120




















pp8490



pp216223


 pp184189



ソウル、pp219-229.