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2013年8月24日土曜日

化学兵器が使われたシリアを,イラン・イラク戦争中にみた「おしん」の体験から

シリアで化学兵器が使われてしまって、大勢の人々が殺されてしまった大悲劇がおきている。イラン・イラク戦争1980-88年にイラク軍は幾度も化学兵器を使ってしまっていて、今なお当時を生き延びた国境で戦っていた軍人らがイラン国内で苦しんでいる。当時、イラクを支援していたのは、米国を中心にした欧米だった。ガスに使える材料もそこから調達していたようだ。イランのイスラム体制で、米国大使館が占領され、444日間にわたって、米国大使館員らはイランでとらえられていた。それらが、米国らを反イランにしていた。だから、イラクがイランへ攻撃かけたことを喜んでいたようだか、支援までしていた。あのフセイン大統領をですよ。支援していたのは欧米だった。

しかし、もっと悲惨だったのは、フセイン軍がイランへ協力していると疑っていたイラク国内のクルド地域に使ったサリン・ガス爆弾だ。ハラブチェで数千人の子供と女性が殺されてしまった大悲劇から25年しかたっていない。
シリアでだれがどうして、どの目的で使っているかはわからないが、最初に空爆が行われたそうだ。そうすると、人々が地下へ逃げる。それからの化学兵器は地下に溜まるから死者数が増えるだけになる。

イラン・イラク戦争(1980-88年)の終わりころはイラクのフセイン軍は、首都のテヘランにも空爆をかけていた。学校にいて、空爆の恐れがあるという「赤いサイレン」が流れると、地下に逃げるべきか、上へ上へと逃げるべきか、一番の恐怖だった。地震があれば、机の下へ頭を入れるのとわけが違う。頭を下にもっていけば、結局自分を殺すことになる。今回のシリアの人々のつらいつらい状況は何とも言えない。

前に、このブログにも書いたが、日本へ来ることになった1991年には、親戚も含め全知り合いに近い人に空港で見送られた。その時は、ほとんどの人から「おしんによろしく」と伝言を頼まれた。
NHKの連続ドラマ「おしん」がイランで放送されていたのはイラン・イラク戦争の終わりころだった。そのころのテヘランはほとんど毎晩のようにイラク軍の空爆にあっていた。私らも空爆を逃れるため、大型マンションの地下駐車場に集ったり、街外れに車で逃亡したりしていた。その時は、欠かせなかったものと言えば、小型のブラウン管テレビだった。シェルターにいた人々が「おしん」が始まると皆、誰かが持ち込んでいた小型テレビの前に集まっていた。

しかし、その地下シェルターにガス爆弾が落ちれば、避難していた人、皆が殺されてしまっていたことになる。おしんを見ながら死んでいたかもしれない自分が、今、悲惨なシリア人のことを痛みを感じなら見てしまっている。
前、どこかで読んだけれども、「シリアは世界一、ガス兵器がある国だ」そうだ。
だれが、どの国か、どの企業が売ったのだよ???その前に、使うのをやめなさい!


シリア関連で今までこのブログで書いたものはたくさんあるが、改めて読んでほしいものは以下。投稿の日付も見てくださいね

なぜイラン体制はシリアのアサド政権を支援するのか