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2012年12月29日土曜日

ハタミ元大統領を東京工業大学に招聘できたきっかけの音楽

年末年始で忙しかったり、郷帰りや旅行で難しい話を読みたくないだろうから、イラン西北のアゼルバイジャンの吟遊詩人MehdiChangizpourさんの音楽をここで紹介する。
まず、このAASHIG 吟遊詩人に出会ったのは、NHK衛星番組「わが心のたび」の通訳・コーディネーターでイランへ帰ったときだった。ゲストは琵琶演奏者の上原まりさんだった。
その番組でイラン西北のタブリーズを訪れるように企画して、Changizさんと双方が演奏する流れとなった。


しかし、この出会いは後に私の人生を大きく変えた。28歳の大学院学生ににしてイランと日本の政治に大きな影響を与えた。
それは自己紹介のページにも書いた2000年に当時のイラン大統領、ハタミ氏を東工大によぶことへつながった。当時イランの大統領が42年ぶりに来賓として日本へきたときに、研究で彼の性格を知っていたことから「文明間対話」に対する講演ならば、彼が喜んで教育機関でしたいのだろうと考えた。(単に私がハタミに会いたかっただけのをさておき?!
それを当時所属していた東京工業大学に持ち込んだ。指導教官らの二人、政治学者の田中善一郎と、社会学者の橋爪大三郎先生らに相談した。
この企画は、なんとお二人におかげで教授会にかけられ、教授会で「講演会」と「名誉博士号」などが認められた。名誉博士号とは、どれほど大変なものかと理解できるように東京工業大学で説明しよう。大学は設立されてからの120年以上の歴史で、大学の名誉博士号を受賞したは、6人しかいなくて、ハタミ氏は7人目だった。最初の6人とは、すべて理科系のノーベル賞など大変理科系に関わりにある人たちだった。
「文明間対話」だとか、なんだかよく分からないものを国連に提唱して、21世紀の最初の年を「文明間対話の年」にさせた政治家ハタミ氏への名誉博士号はもってのほかだった。

今日はここまで。
吟遊詩人Cahangizさんとハタミ氏を東工大に呼べた続きはまた今度にでも書く
つづきで吟遊詩人らの歌でもきいてください

女性歌手シーマ・ビーナについて書いたものと彼女の歌声も聞けるのはこちらで「女性歌手、シーマ・ビーナー

と連続きける方法も紹介したこちら

イランで禁じられている女性歌手のコンサートを日本で開催できれば